2013年6月18日火曜日

「大崎氏の歴史」『宮城縣史Ⅰ 古代史 中世史』

「大崎氏の歴史」『宮城縣史Ⅰ 古代史 中世史』(宮城縣史編纂委員會編纂、宮城縣史刊行會)


大崎氏は足利氏の支流で、その祖先が、鎌倉時代の中期に下向して斯波郡(岩手県)に居住し、高水寺城によって、斯波氏(注)を称した。大崎家兼はその四代の高経の舎弟にあたつている。

東北地方は室町時代の地方機関として、奥州探題の大崎氏が陸奥を、その分流である最上氏(注)が出羽を管掌することになつていた。


(注)【斯波氏】
室町幕府の管領家。代々の当主が尾張守に,また兵衛督,兵衛佐に任ぜられたので,尾張家とも武衛(ぶえい)(兵衛の唐名)家とも呼ばれる。
(世界大百科事典)

尾張守であった斯波氏は、越前時代からの被官である甲斐・織田・二宮氏を尾張に送り、荘園・公領に給人として配置した。


(注)【最上氏】
足利一門斯波家兼の次男兼頼は,1354年(正平9∥文和3)家兼が若狭守護から奥州管領(奥州探題)に転じたのに従って陸奥に移り,56年(正平11∥延文1)に出羽国山形に入部したと伝える。その後,出羽斯波氏は最上氏を称し,歴代羽州探題に任じて戦国期に至った。
(世界大百科事典)




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